N o w +

アラサーシングル母さん、底辺脱却を目指す

「知らないひとについて行っちゃダメ」という言葉の曖昧さ

自分が小さい頃からずっとずっと見聞きしてきた「知らないひとについて行ってはいけません」の文言。
耳にタコが出来るほど聞かされてはいても、今になって思うと「きっとあの人ヘンシツシャだったんだろうなー」と思うひとについて行きかけた過去があるコッコです。

遭遇したのは小学校低学年くらいの頃だったかな。
2・3分喋っただけのオジサンから「嫌いなヤツの家にオシッコかけに行くから、ついて来て誰か来ないか見張ってて」って言われたことがあります。「へぇ、そうなんだ、誰かに見つかったら怒られるもんね」くらいで何も疑いませんでした。
その時は「習い事の送迎バスに乗らなきゃいけないから一緒には行けない」とお断りしたので無事だったんですが、今になってわかったんです。オシッコって言ってたけど精子だったんだろうな…とか。どっかに連れ込まれそうになってたんだろうな…とか。
なのにどうしてあの時の私はオジサンの言葉を信じちゃったんだろ?と思ったときに思い当たったのは2つ。

  • 大人は絶対的に自分たちを守ってくれる存在だと思っていた
  • 一緒に遊んだり喋ったりしたひとに対して警戒しようと思わなかった

でもそれらは、経験値あってこその【疑い】なわけで。

"知らないひと"の定義

"知らないひと"ってどんなひと?

個人差はあると思いますが、アラサーになった今の私が"知らないひと"と判断する基準は【相手の個人情報を知らない】こと。名前・住所・職業・連絡先…とか、そういうもの。

でも、6歳の息子にとっての"知らないひと"は、喋ったことも一緒に遊んだこともないひと。
だから一緒に楽しく喋ったり遊んだりしたらもう"知ってるひと"だと言います。

"知らないひと"の認識のズレの解消、を認知・解消する

何に対してもそうですが、これら認識のズレは小さな亀裂を生み、やがて歪みます。
ではどう解消すべきか、それはもう明白です。

「知らないひとについて行っちゃダメだよ」ではなく
母さんが知らないひとに何を言われてもついて行っちゃダメだよ」
です。

母さんが誰を知っていて誰を知らないかくらいの情報共有と認識が出来る歳ですので、私はいつもこう言います。
私の交友関係の狭さゆえに息子が記憶しきれている部分も、モチロンあるかと思います。

しかし命に関わることになるかもしれないので、曖昧さを残すより『ここまで』というはっきりしたラインを引いて伝える。
これが大事なんじゃないかなあ、と思います。